意見と言う名の落とし穴。

「なぜ」が問われる、ということなんですね。

(続きは以下で)

☆☆☆

このところ、上の子供(3歳男子)の情緒が若干不安定です。急に不機嫌になったり泣き出したり、季節の何かなのでしょうか。じっくり向かい合って伝えていきたいところです。

さて、今日のお話ですが「意見を言うこと」というのは一般的に良いことである、という認識があります。

特に日本人はおとなしいとか自分の意見を持たないとかいうことで、海外の学校で評価されない可能性が高いというようなお話も手伝って、「なるべく意見を言おう」という風潮が固まってきた気がしますね。

もちろん意見を持つ、ということは素晴らしいことです。
ただしそれは、本当に考えたうえでの意見でなければなりません。

どういうことかというと、意見と言うのは「自分からの主張の表明」である以上、どのようなことでも口を出せば意見になってしまう、という側面があるからです。つまり、表向きはもっともらしい意見のように聞こえても、それが単に相手の足を引っ張ろうとか、単に自分が目立ちたいだけとか、他人を否定したい、というような動機で発せられたものであると、良くないということです。

それでも意見は意見なのだから、出すのは良いことなのでは?という考えもあると思いますが、経験上こういう感じの「意見」を出し続ける人は、本人が汚れていってどこかのタイミングで沈んで行ってしまうことが多いのです。

私の知り合いでも「わたしは、意見は『異見』だと思う」としょっちゅう書いている人がいました。一見カッコいい言い回しです。しかしこの人は、ある意味その言葉の字面通り、単に他の人の意見やコメントを否定することばかりを書いていき、結果的にあちこちの人からしょわなくてもいい恨みをしょったり嫌われたりして、結局は消えていってしまいました。

もちろん意見と言うのは人によって違うものですから、食い違いが起こることはあって当然なのですが、この人のように、「最初から否定すること」を動機として意見するとロクでもない結果に終わるということを示唆している事実だと思います。

意見を持つ、言うのはいいことです。しかし同時に、そのときの自分自身の「動機」に少し注意しましょう。それだけで、意見1つ1つの受け入れられ方も変わっていくものです。

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(まとめ)

他人を下げるためだけの意見持ちはみっともない。



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